愛で応える。


前回のブログ記事をアップした後、しばらくしてから、はっと気付いたことがありました。


愛を求める声には愛で「応える」しかない。

なのに、

愛を求める声には愛で「答える」しかない。

と書いていたことに。。。
(すぐに訂正しましたが。)


これは無意識に、

聖霊の呼びかけに
「応える」=応答する=聖霊を教師とする
=赦しをする
ことが、私たちのすることであるのに、

聖霊の呼びかけに対して、「解答」しようとしている。

つまり、自分で答えを導き出そうとしている。=私は答えを知っている!と宣戦布告しています。

全く持って自我の思考でした。


自覚なく現れる無意識の信念。

これを見逃さずに気づいて見ていくことが大切ですね。


愛を求める懇請に愛を与えることを持って応える以上に良いやり方があるだろうか。

(T-12.Ⅰ.10:2)

ACIM KUUKA

「奇跡講座の学びと実践」のシェア。 この動揺や喜びは何のためのものだろう。