えぃ、やっ!と方向転換。

赦しができない。
赦しが難しい。

と思うのは、

そもそも、
私たちは、赦しなど全くしたくないのだというところから見ていかないと、
なかなか赦しをしようという意欲につながっていかないな〜と思います。


そもそもが、自我そのものの私たちにとっては、とても困難な道なのだということ。

私たちの旅の始まりは、
力強く吹いてくる向かい風に向かって、
真逆の方向へと一歩一歩進んでいくのだということ。

その風に今まで通りに背を向けるなら、
それはもちろん追い風となり、
いとも簡単に世界の被害者へと成り下がることになります。


そうであるならば、
決して容易いものではないということがわかってきます。


しかし、その力強い向かい風こそ、
神の子の力を持つ私たち自身が作り出しているものであり、
自分で自分に、困難な道のりとさせている訳なのですが、
聖霊とともに見るならば、それは実在していないトラップだということがわかってきます。


しかし、私たちは今、自我と同一化していて、その向かい風を実在させているので、

できなくて当たり前というところから、
イエスや聖霊は、私たちにとって優しい方法で導いてくれるのです。


だから、
できなくても咎めなくてもいいし、
裁かなくてもいいのだけれど、

困難な旅の始まりには、
えい、やっ!と
向かい風に向かって方向転換していく
意図や意欲は必要となってくるのだと思います。

そして、吹きすさぶ嵐の中では、
イエスや聖霊のランプだけを頼りに、
歩みを進めていき、
両方とも見れる視点に戻ったなら、
じっとして何もしなければ、
それはいつのまにか消えていくことでしょう。

ACIM KUUKA

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